鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Rolands Kalniņš&"Elpojiet dziļi"/ラトビア、反抗の音を響かせて

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"Elpojiet dziļi" / "大きく息を吸って" (監督:Rolands Kalniņš, ラトビア, 1967)

ツェーザルスは電話交換手として働く傍ら、作詞家としてバンドに所属する青年だ。そのバンドはドイツのTV番組で特集が決定するなどブレイク寸前だ。そんなある時彼はアニータという女性と出会う。しかし彼女は政府機関の職員であり、彼女によってバンドの調査が開始され、ツェーザルスたちは危機に陥ってしまう。

今作は1967年製作、世界では若い作家たちが例えばヌーヴェル・ヴァーグなど新たなる映画を作り上げていたが、今作もそんな新風に属する作品と言えるだろう。当時盛んだったロック(日本のグループサウンズっぽさがある)を全面的に取り入れ、若い文化がこれでもかと煌めいていく。ロック、パーティ、ロマンス。そういった要素が爽やかに描かれていくのだ。

そしてラトビア独自の文化も描かれている。まずは映し出される古都リガの風景だ。凍てついた美が瀟洒な街並みの中でロックと響き合う様は息を呑むほど素晴らしい。そしてロックバンドの詩である。詩を執筆しているのはラトビアの有名詩人Māris Čaklais(マーリス・ツァクライス)であり、爽やかなポエティックが極めて洗練されることによって反体制性を獲得すると言った風で興味深い。

さて物語において創造性と体制の激しい衝突が描かれるが、この作品が辿った道筋も同じように苦難に満ちたものだった。1967年に完成した直後、反体制的な内容が咎められ即上映禁止の憂き目に遭う。更に上映素材がズタボロにされる悲劇もあったらしい。まともに公開が可能になったのはソ連崩壊後である。しかしその後は名誉が回復され、2018年にはカンヌ映画祭のクラシック部門で記念上映が成されることとなった。この作品の別名"Četri balti krekli"の名前を冠したライブハウスも存在している。

 さらに映画が苦難の道を歩むなら、その監督もである。Rolands Kalniņš(ロランズ・カルニンシュ)は1922年生まれ、助監督として経験を積みながら1959年の"Ilze"で長編監督としてデビューする。その後も精力的に作品を製作するが、今作含めて何本かは反体制的として上映禁止とされ、中でも1974年製作の"Piejūras klimats"は上映素材をブチ壊しにされた挙句、現在では40分しかまともな素材が存在していないという状態になっている。その後も作品を製作しながら、ソ連崩壊で自由を得る頃には60代に差しかかり、それ以後は2作しか作品を監督せず今に至っている。それでも彼は存命(現在92歳!)であり、存命中にカンヌで今作が上映など名誉回復が成されたことは幸運だっただろう。

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Dhimitër Anagnosti&"Lulëkuqet mbi mure"/アルバニアでも大人は判ってくれない

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"Lulëkuqet mbi mure" / "壁のヒナゲシたち" (監督:Dhimitër Anagnosti, アルバニア 1976)

舞台は1940年代、イタリア軍に占領されたアルバニアの首都ティラナ。ここに位置する孤児院に4人の少年たちが住んでいた。彼らは腐った体制や学校のシステムに反感を抱いていたのだが、まだ子供であるが故に反抗する術を持って居なかった。しかし……

今作はイタリア占領下のアルバニアの様子が垣間見えるという意味でまず印象的だ。ファシストにズブズブの教師たち、イタリア語の歌を強制的に謳わされる音楽の授業、理髪店で居丈高に振る舞うイタリア人将校たち。子供たちはそんな権力の横暴に対してはいつだって敏感であり、不満を積み重ねていく。

そんなある日、少年たちの友人であるパルチザンの若者が路上でイタリア人将校を暗殺するという事件が勃発する。それをきっかけとして、彼らの反感は煽り立てられ、自分たちも教師たちに反抗しようと行動に打って出ることとなる。その結果、用務員が怪我までしたことで教師側からの締め付けが強化されてしまうのだったが……

現代のアルバニア映画にはパルチザンもしくはパルチザン的な活動に明け暮れる少年たちを描いた作品(例えば先に紹介したアルバニアで最も有名な映画監督Xhanfesi Ketoの諸作)が多いのだが、今作もそんな作品である。彼らはその若さで以て腐った体制を震わせ、それぞれの目的を達成していく。そういう意味では今作はトリュフォー「大人は判ってくれない」や、アルゼンチン映画史上傑作であるLeonardo Favioの"Crónica de un niño solo"などに匹敵する作品と言える。

とはいえラスト、まだ青年にも満たない少年たちが放校された後、パルチザンに入隊しイタリア人を暗殺して"俺たちの戦いはこれからだ!"という感じになるラスト(しかも劇伴の荘厳さが凄い)は今から観ると問題含みに見える。この頃は国威発揚系映画が重宝されたのだろうが、今から見ると暴力の連鎖っぽくて何だかなという。しかし戦後のアルバニア映画はそれが根幹にあるので、楽しむなら無視する必要があるにはある。

Dhimitër Anagnosti(ジミタル・アナグノスティ)は60年代から活躍する映画作家だ。代表作はアルバニアを逃れようと奔走する3人の船員の姿を描いた"Duel i heshtur"(1967)、年端も行かぬ少年との結婚を強制される女性を描く"Përrallë nga e kaluara"(1987)がある。現在でも存命であり、最新作は2007年に監督した1930年のアルバニアの農村を舞台とする1作"Gjoleka, djali i Abazit"だ。

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Xhanfise Keko&"Partizani i vogël Velo"/大いなるアルバニアを守るため

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"Partizani i vogël Velo"/ "ヴェロ、小さなパルチザン" (監督:Xhanfise Keko, アルバニア 1980)

少年ヴェロはアルバニアの雪の山奥で父と幸せに暮らしていた。しかしパルチザンと疑われた父が無残に射殺された後、彼は復讐の為パルチザンに入隊したいと願うようになる。村の人々は天涯孤独になった彼を暖かく迎えるのだが、ヴェロの中で復讐心はどんどん募っていく。

さて、アルバニア映画界において最も重要な映画作家は誰か?と世界のシネフィルに訊いたなら、間違いなく大多数の人々が答える名前こそXhanfise Keko(ジャンフィゼ・ケコ)だ。彼女はアルバニア映画のパイオニアとして何十年に渡って映画を製作し続けた人物である。その映画はどれも子供を主人公としたもので、その意味で彼女は"アルバニアアッバス・キアロスタミ"と言える。彼女の代表作といえば、ドイツ占領下の首都ティラナでサボタージュ活動をする少年の姿を描いた"Tomka dhe shokët e tij"(1977)だが、天邪鬼な私がまず紹介するのはそれではなく1980年製作の"Partizani i vogël Velo "だ。

Ketoはまずヴェロの暮らしぶりを鷹揚たる筆致で描き出す。アルバニアの自然は広大で懐が深い。雪の純白に包まれた自然における暮らしは過酷なものであると同時に、豊かさにも満ち溢れている。そして春が来れば深い緑が周りには広がり、人々を優しく包みこむこととなる。そんな鷹揚さを反映するように人々も優しさに溢れている。だがヴェロはそれだけでは我慢できないのである。

ヴェロは愛犬と共に危険な山々を越えて、パルチザンたちと合流することになる。しかし彼らはヴェロの年齢を理由に、パルチザンへの入隊を断るのだ。失意のうちにヴェロは村へと戻るのだが、諦めきれない彼はパルチザンの元へ舞い戻ることになる。

第2次世界大戦時のアルバニアは激動の運命にあった。1939年からはイタリアの占領下に入り苦渋を舐めたかと思うと、イタリアが降伏した1943年以降はドイツの占領下に入ってしまう。そうして苦しみを味わい続けたアルバニアだからこそ、戦後にはその過去を振り払おうと、その時代に勇敢に戦い続けた戦士たちを賞賛する映画を作り続けるのだろう。今作も正に敵兵を勇敢に射殺したヴェロが、独りで大いなる自然へと旅立つ姿で幕を閉じるのである。

さて、Xhanfise Kekoについてはオルタナティヴ映画史を標榜するに辺り、絶対に欠かしてはならない映画作家であると思うので、今後もアルバニア映画の重鎮と共に作品を取り上げる予定である。こうご期待。

Christo Christov&"Barierata"/響く旋律、たゆたう愛

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"Barierata" / "境界" (監督:Christo Christov, ブルガリア, 1979)

アントンは初老の音楽家だ。しかし彼は独身で、気ままな時を過ごしている。ある時彼はドロテアという若い女性と出会う。不思議な雰囲気を纏う彼女は、車で家に送ってほしいと言うのだが、彼女の家がどこだかハッキリしないまま、アントンは成り行きで彼女を家に泊めることになる。そこから2人の共同生活は幕を開ける。

ドロテアは全く以て謎めいた存在だ。家もどこだか分からなければ素性もハッキリしない。しかし音楽に対する感覚は抜群であり、音楽家であるアントンとはかなり気があう。そういった雰囲気ゆえに、ドロテアはブルガリア版の“マニック・ピクシー・ドリーム・ガール”と言えるかもしれない。そこに中年男性の夢という修飾までつく。そこまで聞くと今作が下らない駄作と思われるかもしれないが、そこで終わらないのが今作の魅力である。

そのうちに発覚するのが、ドロテアは精神病院の患者であることだ。彼女の担当医はドロテアの感覚はあまりに鋭敏すぎて日常生活に耐えられないと言うのだが、もう1つ信じられないことを言う。彼女は人の心を読む超常的な力を持つというのだ。もちろんアントンはそれを本気にはしないが、彼の周りで奇妙な出来事が巻き起こり始める。

監督Christo Christov(フリスト・フリストフ / Христо Христов)が今作を綴る筆致は、すこぶる繊細なものだ。先述の奇妙な現象というものはSF的な大々的なものではなく日常に足のついた奇妙さではあるが、そこには繊細な詩情が宿っている。アントンとドロテアはプラトニックな関係を貫き続けるが、その関係が震わされる時、その詩情は息を呑むほどの美しさへと飛翔する。まるで観ている自分が虹色のクラゲとして宇宙を漂うような感覚をそこでは味わうことになる。しかし更にその詩情が姿を変える瞬間がある。その時の筆舌に尽くしがたい切なさと言ったら、いやいや素晴らしい!

今作の監督Christovは60年代から活動を開始した映画作家である。代表作は原子潜水艦を舞台とした戦争映画"Cyklopat / Циклопът"(1976)や同僚の死体を彼の故郷へと運ぼうとする男たちの姿を描いた"Kamionat / Камионът"(1980)で、両作ともベルリン国際映画祭に出品されている。ちなみに"Barierata"は1980年度のアカデミー外国語賞ブルガリア代表に選出されている。ノミネートすらされなかったがいやいや獲ってもよかったと個人的には思う(実際の受賞作は「ブリキの太鼓」)

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Zvonimir Berković&"Rondo"/クロアチア、愛はチェスのごとく

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"Rondo" / "輪舞曲" (監督:Zvonimir Berković, クロアチア, 1966)

ムラデンは裁判官として勤務する、自由気ままな独身男性だ。彼にはフェジャという親友がいるのだが、ある時から日曜日の午後4時に彼の部屋へと赴き、チェスをやり始めることになる。フェジャにはネダという妻がいるのだが、2人との会話を楽しみながら、毎週チェスは繰り返される。

何故、数多の映画作家はチェスという遊戯に惹かれるのだろうか。まるで光輝く星雲のように無限大な可能性に惹かれるのか、戦略の中に宿る崇高な美しさに惹かれるのだろうか。その答えは未だ曖昧模糊であるが、今作の監督Zvonimir Berkovićもまたチェスに魅入られた1人である。2人の男が瀟洒な会話を楽しみながら、チェスに明け暮れる。本作の大部分がそれで構成されているのだから。

しかしだんだんとそこに別の要素が入り込んでくる。毎週チェスのためにフェジャの部屋へ赴きネダと会ううち、ムラデンは彼女に恋をしてしまうのだ。親友の妻であることは承知しながら、会話を交わし、彼女の心に触れる度、彼は否応なくネダに心を奪われる。そしてある時衝動的に唇を奪ってしまった後から、チェスという遊戯はその意味を少しずつ変えていく。

今作はチェスを通じた三角関係の愛の鍔迫り合いというべきだろう。チェスが無邪気な戯れになることがあれば、熾烈な闘争となることもある。しかし監督の謎めいたモダニスト的な演出も相まって、今作は様々な表情を見せる。1人の男の心理をめぐるスリラー作品、どこか現実とはずれた不条理劇、この不定形な自由さを本作の質を高めている。

そしてこの作品の核にあるのは反復だ。題名にもある“Rondo”は正に旋律の繰り返しによって成り立つ音楽であるが、ネダはある時こんな発言をする。“ロンドは反復の音楽だけれど、聞くものを退屈させることはない”それは反復の中の微妙な差異が、万華鏡的な美しさを放つからだ。今作も表面上はチェスを繰り返す男たちの姿を描いただけのものだが、そこには一瞬として同じではない豊かな感情が現れる。そうした感情の反復の中で、愛は思わぬ展開を見せるのだ。

今作の監督Berković は元々脚本家出身のクロアチア人で、その時の代表作は1956年製作の“H-8...”、ザグレブからベオグラードへ通行するバスの乗客たちの心理模様をめぐる1作である。そして彼は映画監督として1966年にこの作品を完成させた訳だが、今でもクロアチアではこの国で最も偉大な映画の1本という称賛を受けるほどに評価される作品となっている。ちなみに"H-8..."もクロアチア映画界の最も偉大な作品の1本と言われており、つまりはBerkovicはクロアチア映画界の超重要人物な訳である。

今作の後には入院中に同室の患者を見舞う女性に恋をしてしまう男を描いた"Ljubavna pisma s predumišljajem"(1985)やクロアチアの有名な作曲家であるDora Pejačević(ドーラ・ペヤチェヴィチ)を描いた伝記映画"Kontesa Dora"(1993)を監督するが、ここで映画製作を止めてしまう。とはいえ活動は旺盛で、今後は映画・演劇・音楽の分野で批評家として活躍すると共に、ザグレブ演劇芸術アカデミーで教鞭を取り製作会社Jardan Filmを経営するなどしていた。

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Kristaq Dhamo&"Tana"/アルバニア映画の夜明け来たる

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"Tana" / "タナ" (監督:Kristaq Dhamo, アルバニア, 1958)

舞台はアルバニアの山奥に位置する農村、ここにタナという若い女性が住んでいた。彼女は明るく活発な女性で、ステファンという青年と恋仲にある。しかし彼女たちには障壁もある。旧弊的な考えを持っている祖父やステファンに嫉妬する男レフテルだ。そんな中でもタナは日々を逞しく生きていく。

今作は1958年に製作されたアルバニア映画であるが、何と今作こそがアルバニア映画史においては初の長編映画なのだそうだ。そういう意味ではかなりエポックメイキングな作品である。物語はタナの姿を通じて、アルバニアの現在を描き出そうとする。野原で戯れる恋人たちの爽やかさ、男たちに混じって鉱山で鉱石を採掘したり畑を耕したりする若さ。そういうものが鮮やかに描かれる。

演出は、映画史が浅いからか、50年代より以前のサイレント映画を彷彿とさせるものになっている。例えば20年代30年代のソ連映画などのように、農作業などに明け暮れる人々やアルバニアの広大な大地が、言葉を介在させることなく、雄大に綴られていくのだ。

後半からはタナの視点を離れ始め、社会主義の波がやってきたことによって村やそこに住む人々がどう順応していくかという大局的な物語になっていく。原作・脚本のFatmir Gjata(ファトミル・ジャタ)は小説家でもあるのだが、社会主義リアリズムで有名な作家だそうだ。ということで社会主義一直線な訳で、旧態依然とした考えを持つタナの祖父は突然くたばり、タナとステファンは試練を乗り越え、社会主義な村でキャッキャウフフとなり終幕する。正に時代といった風である。

今作の監督Kristaq Dhamo(クリスタク・ジャモ)は、先述の事情があるようにアルバニア映画史において長編映画を監督した初めての映画作家という訳である。そして今作は第1回モスクワ国際映画祭に出品されてもいる。ソ連および社会主義とはズブズブである。この後Dhamoはアルバニア人スパイの姿を描き出したエスピオナージュもの"Detyrë e posaçme"(1963)やトラクター乗りを夢見る女性と夫との軋轢を描いた“Brazdat”(1973)などを作り、アルバニア映画史にその名を残している。

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Gothár Péter&"Megáll az idő"/ハンガリー、60年代を駆ける青春

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"Megáll az idő" / "時間は止まったまま" (監督:Gothár Péter, ハンガリー, 1982)

今作は1956年のハンガリー暴動から幕を開ける。ソビエト連邦の支配に業を煮やした民衆が放棄し、ブダペストの街は戦火に燃え盛ることとなる。主人公であるディニと兄のガボルの父親はこの街から逃げ出そうとするのだが、母親はそれを良しとせず廃墟の中で彼らを育てることを決める。この下りは数分しかないが今作のハイライトで、崩れた街並から燃え立つ白い炎の光景はかなり印象的だ。

物語はそれから10年後の1963年、反抗的な青年に成長したディニの姿を描く訳だが、それを通じてこの時代の文化が生き生きと描かれている。学校は男子と女子、別の部屋に分けられており、もちろん体育も別々なのだが、男子は上半身裸でバスケとかやったりしているのだ。その時デニは友人と一緒に女性の裸を映した写真を見てニヤニヤしている辺りは、まあ今の日本と変わらない感じではある。

そしてこの時代の反抗の象徴はやはり“アメリカ”文化という奴である。ロックンロールがガンガン流れる中、不良集団が学校の窓ガラスを割りまくるなどお馴染みの風景が現れたり、アパートの狭苦しい部屋で若者たちが踊り狂うなんて場面もある。その時、デニたちの憧れの的なカリスマ不良ピエールがとある飲み物を口にしてブッ!と吐き出し、この変な飲みもん一体なんだ?と聞くのだが、それがコカコーラなのだ。60年代の社会主義下ではかなり珍しい飲み物だった事情が伺えたりする。

監督の演出はかなり不思議で、全編に煙が焚かれたかのような曖昧な感触が宿っている。80年代当時からあの頃を振り返るという感じだろうか。ある意味で表現主義的な手法は、若者たちの反抗の姿をどこか夢見心地のものとして浮かび上がらせていく。あと印象的なのが登場人物のバストショットがかなり多いという点。バストショットを保ったまま人物から人物、風景から風景に長回しのまま進む様はちょっと「サウルの息子」のネメシュ・ラースローを想起させる訳で、これはハンガリーの伝統なのやも。というか長回しの先達には偉大も偉大なミクローシュ・ヤンチョーがいるし。

だが全体から言うとあんまり良くない。冒頭のハンガリー暴動の下りで家族の物語になる様子が伺えたかと思えば、デニ1人に焦点が絞られてしまい勿体無い。しかも行動のよく読めないデニの片想いの相手マグダや、デニと新任教師の微妙な関係性、“人民の敵”と見なされた父親のせいで教師たちから目をつけられるデニたちの悲哀などなど良い感じになるサブプロットは多いのに、散漫であまり印象に残らない。しかも浅いのに妙に絡み合いすぎてどうも焦点の合わない感じが辛い。

監督のGothár Péter(ゴタール・ペーテル)は今作が2作目、何と第1回東京国際映画祭で監督賞を獲得している。脚本はハンガリーを代表する脚本家のBereményi Géza(ベレメーニ・ゲーザ)だ。今作は初期作で後には監督業にも進出、第2長編の「ミダスの手」(原題“Eldoládó”、昔NHKで放送されたみたいだ)はハンガリー映画界史上の傑作として名高い、らしい。今は小説家として活躍中である。

そして最後に脇道にそれるが、少しびっくりしたのが、この同年に東京国際で同じくハンガリー映画界の超重鎮Mészáros Márta(メーサーロッシュ・マールタ)の代表作「日記」(原題“Napló gyemekeimnek”)が上映されてたりするのだ。東京国際映画祭にはチケット関連で去年酷い目に遭わされたり色々言いたいことはあるが、東欧映画の采配は毎回外さない気がする。2016年のルーマニアの「フィクサー」「シエラネバダ」やクロアチアの「私に構わないで」はどれも完成度の高い作品だった。私は観られなかったがスロバキアの「ザ・ティーチャー」やブルガリアの「グローリー」も評判が良かった。谷田部さん、カルロヴィ・ヴァリで審査員なんかしてるし、更なる東欧映画のクオリティアップに期待。

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