Duygu Sağıroğlu&"Bitmeyen yol"/トルコ、終わりなき苦難の道
"Bitmeyen yol" / "終わりなき道" (監督:Duygu Sağıroğlu, トルコ, 1965)
青年アフメットは仲間たちと共に故郷の町へと帰ってきた。そうして懇意にしていた家族の家に厄介することになるのだが、彼はその家の娘であるジェリメのことを愛していた。それでも彼女には婚約者がいるゆえに、愛は心に秘めているしかなかった。
今作においてカメラはトルコの噎せ返るほどに埃臭い現実を映し出している。打ち捨てられた砂の荒野に粗悪なバラック小屋が密集している風景、日雇い仕事で金を稼ぐしか生きる道がない現状、全て重労働ゆえのその過酷さ。これらの生々しい感触はいわゆるネオレアリズモという潮流を感じさせるものだ。
トルコ映画界では、60年代から若い世代の映画作家がこの国に蔓延する社会問題を扱う映画を作り始めた。初めて映画として労働争議を描き出した"Karanlikta Uyananlar"や盗まれたネックレスの行方を通じて階級闘争を描き出す"Suçlular aramizda"などがその代表だ。それらは諸外国で流行していた映画の潮流を反映している訳だが、今作は正にイタリアのネオレアリズモの影響が濃厚なのである(この伝統は長く長く続くこととなり、この後に紹介する80年代のトルコ映画“At”に繋がる)監督Duygu Sağıroğlu(デュイグ・サーウロール)はこの作品がデビュー作、ここからトルコ映画界を代表する巨匠となる。
このリアリズムを主体とした演出も緻密で生々しく、迫力があるのだが、今作の肝はそこから飛翔する瞬間だ。今作の合間合間には50年代の残り香だろう叙情性が存在しているのだが、例えばアフメットとジェリメの愛の風景は残酷な現実に対する清涼剤として機能しうる。そして終盤の悪夢的な混乱の数々には映画的な快楽がある。螺旋階段の場面などはヒッチコックらの映像へのフェティシズムを感じさせる。そうしてリアリズムと映画的飛躍を巧みに融合して作り上げられた作品がこの“Bitmeyen yol”という訳である。