鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Puriša Đorđević&"Jutro"/ユーゴスラビアの血塗られた夜明け

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"Jutro" / "朝" (監督:Puriša Đorđević, セルビア, 1967)

その時ユーゴスラビア歓喜に湧いた。イタリアやナチスドイツら枢軸国の敗北によって、第2次世界大戦はとうとう終わりを告げたのである。彼らからの支配を逃れ自由を獲得した兵士たちは喜びに浸りながら、町を練り歩き、ユーゴスラビアの美しい大地をひた走り、愛の歌を響かせながら、祖国を裏切った者たちを抹殺していく。

"Jutro"は表面上、頗る牧歌的な作品だ。戦争の災禍から逃れた田舎にはのどかな空気が流れ、若者たちは戦争の終わりにどこか浮き足立ったりする。劇中で何度も朗らかな民謡や音楽が流れ、それに合わせて人々が踊ったりする。その中にはロシア人兵士なんかもいて(今後のソ連とチトー政権の関係を考えると興味深い)、ある女性は彼を"あの人ってスターリンみたい!"と惚れ惚れしたかのように呟く。今じゃその言葉は岡田真澄以外に言ったら洒落にならないだろう。

この何だか悪くない和気藹々とした空気感が、唐突に殺戮に繋がる瞬間は酷く不穏だ。踊りの最中、ピアノの伴奏者がナチスの通訳だったことが発覚し即刻射殺、若い兵士たちは旅の途中で行き当たった敵軍を躊躇なく殺害、とある町で裏切り者を見せしめにする場面は周囲の人間の怒りと裏切り者の朴訥とした告白も相俟って異様も異様だ。

劇中である将軍が民衆にこう語る。"私たちはこの国の顔を変えてみせよう、この国の民衆たちの魂を変えてみせよう!"と。この叫びは戦争/忌まわしき闇の終焉と新たなる希望の始まりを告げながらも、"Jutro"つまりユーゴスラビアの"夜明け"に繰り広げられたのは残酷な殺戮であったことをこの映画は物語っている。終盤、マルという若い兵士はある女性と出会う。彼女は裏切り者として処刑の時を待っていたが、彼女自身現在の不条理に耐えきれず死を望んでいた。そんな女性をマルは助けようとするが、その先に広がるのは荒涼たる風景だけなのである。

Puriša Đorđević(プリシャ・ジョルジェヴィッチ)は1924年生まれで現役の映画監督、今年で何と92歳である。40年代後半から既に映画製作を始め、現在に至るまで長編/短編に劇映画/ドキュメンタリーにと約70本もの映画を製作するに至っている。その中でも60年代後半に作られた作品群が最も評価されていると言えるだろう。1965年の"Devojka"は第2次大戦を舞台とした主人公とパルチザンの男の悲恋を描いた作品、1966年の"San"は夢を抱く若者たちの姿とと迫りくるドイツ軍の恐怖を描き出す一作、1968年の"Podne"はスターリンとティトーの決裂が決定的となった時を背景としてセルビア人の町に広がる風景を描いた作品だ。今作は1967年製作だが、プーラ・ユーゴスラビア映画祭で作品・監督・脚本の三冠を、ヴェネチア国際映画祭では男優賞を獲得するなど話題となった。