Dhimitër Anagnosti&"Lulëkuqet mbi mure"/アルバニアでも大人は判ってくれない
"Lulëkuqet mbi mure" / "壁のヒナゲシたち" (監督:Dhimitër Anagnosti, アルバニア 1976)
舞台は1940年代、イタリア軍に占領されたアルバニアの首都ティラナ。ここに位置する孤児院に4人の少年たちが住んでいた。彼らは腐った体制や学校のシステムに反感を抱いていたのだが、まだ子供であるが故に反抗する術を持って居なかった。しかし……
今作はイタリア占領下のアルバニアの様子が垣間見えるという意味でまず印象的だ。ファシストにズブズブの教師たち、イタリア語の歌を強制的に謳わされる音楽の授業、理髪店で居丈高に振る舞うイタリア人将校たち。子供たちはそんな権力の横暴に対してはいつだって敏感であり、不満を積み重ねていく。
そんなある日、少年たちの友人であるパルチザンの若者が路上でイタリア人将校を暗殺するという事件が勃発する。それをきっかけとして、彼らの反感は煽り立てられ、自分たちも教師たちに反抗しようと行動に打って出ることとなる。その結果、用務員が怪我までしたことで教師側からの締め付けが強化されてしまうのだったが……
現代のアルバニア映画にはパルチザンもしくはパルチザン的な活動に明け暮れる少年たちを描いた作品(例えば先に紹介したアルバニアで最も有名な映画監督Xhanfesi Ketoの諸作)が多いのだが、今作もそんな作品である。彼らはその若さで以て腐った体制を震わせ、それぞれの目的を達成していく。そういう意味では今作はトリュフォーの「大人は判ってくれない」や、アルゼンチン映画史上傑作であるLeonardo Favioの"Crónica de un niño solo"などに匹敵する作品と言える。
とはいえラスト、まだ青年にも満たない少年たちが放校された後、パルチザンに入隊しイタリア人を暗殺して"俺たちの戦いはこれからだ!"という感じになるラスト(しかも劇伴の荘厳さが凄い)は今から観ると問題含みに見える。この頃は国威発揚系映画が重宝されたのだろうが、今から見ると暴力の連鎖っぽくて何だかなという。しかし戦後のアルバニア映画はそれが根幹にあるので、楽しむなら無視する必要があるにはある。
Dhimitër Anagnosti(ジミタル・アナグノスティ)は60年代から活躍する映画作家だ。代表作はアルバニアを逃れようと奔走する3人の船員の姿を描いた"Duel i heshtur"(1967)、年端も行かぬ少年との結婚を強制される女性を描く"Përrallë nga e kaluara"(1987)がある。現在でも存命であり、最新作は2007年に監督した1930年のアルバニアの農村を舞台とする1作"Gjoleka, djali i Abazit"だ。