鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Miomir Stamenković&"Si të vdiset"/東欧、パルチザン映画の系譜

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"Si të vdiset" / "どう死すべきか?" (監督:Miomir Stamenković, コソボ, 1972)

舞台は第2次世界大戦時のコソボ、この地は枢軸国であるイタリアの占領されて暗黒の時代を迎えていた。それでもパルチザンたちはイタリア兵たちに対して反抗を続け、戦いに身を委ねていた。その中に親友であり戦友である2人の青年がいたのだが、彼らを待つ運命は残酷な物だった。

戦後の東欧映画には、エロや暴力を主題にしたエクスプロイテーション映画、ならぬパルチザンの勇ましい戦いや悲劇を描き出した"Partisaploitation"映画みたいなジャンルが存在すると思っている。ブルガリアからユーゴスラビアルーマニアまで幅広くパルチザン映画は存在し、アルバニアでは1980年代まで長く長く作られるほどである(以前紹介したXhanfise Keko監督の"Partizani i vogël Velo"はその代表例)

さて"Si të vdiset"はその意味で正に典型的な"Partisaploitation"映画である。青年たちは勇ましくイタリア軍と戦い、雄々しく反抗を続けながらも、抵抗空しく捕えられ、最後には処刑されてしまう。しかしそれでも誇りは失わないままに生を全うする訳である。当時のファシズム死すべし&共産主義ズブズブな観客にとってはパルチザン泣き必至である。

ではそんなパルチザン的、というかまあプロパガンダ的な要素を越えて、今作は面白いかと言えば微妙である。こう、ビジュアル的に飛躍するものがないのだ。コソボの広大な大地に頼りきりで視覚的快楽が足りない。かといって"Partisaploitation"映画史に残る傑作であるラリーサ・シェピチコの「処刑の丘」くらい人間の顔が力強く描かれている訳でもない。今作は相当の東欧映画好き及びコソボ映画好きにしかオススメしない。傑作になるポテンシャルはあったと思うのだが。

本作の監督Miomir Miki Stamenković(ミオミル"ミキ"スタメンコヴィッチ)はセルビア人監督で、ユーゴスラビアの各地で映画を製作していた。1971年の"Klopka za generala"はボスニア映画で、1972年製作の今作はコソボ映画、1976年製作の"Devojacki most"はセルビア映画といった風である。2010年まで長編から短編、劇映画からドキュメンタリー、映画から演劇まで幅広く作品を製作した後、2011年に亡くなった。享年83歳だった。

ポスターは題名が違うが、クロアチア語表記で意味は同じ。