鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Assi Dayan&"Ha-Chayim Al-Pi Agfa"/イスラエル、淀みゆくこの国

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"החיים על פי אגפא" / "アグファでの人生" (監督:Assi Dayan, イスラエル,  1992)

舞台はテルアビブに位置する"バービー"という名のバーだ。ここには心や体に傷を持つ者たちがいつでも流れ着いてくる。今作はこのバーで繰り広げられる運命的な1夜を描き出した群像劇である。

例えば店主であるダリア、彼女はその辣腕でバーを切り盛りする傍ら、自身の恋人がずっと自分を愛してくれているか心配で堪らずにいる。店員のダニエラはアメリカへのビザが欲しいと一生懸命に働き続けている。リッキーはキブツからやってきた女性だが、都市の喧騒に深い息苦しさを感じている。そこに刑事や傷痍軍人、ピアニストらが関わり、事態は複雑になっていく。

監督は鋭利なモノクローム映像によって、テルアビブの夜を切り取っていく。その光景は瀟洒というよりも、生々しく淀んだ空気感を湛えている。それはおそらく登場人物たちの心象風景を反映してもいるのだろう。この重々しい黒が観客の心に伸し掛かってくる。

そして黒の色彩は登場人物たちを絶望へと引き込んでいく。リッキーは行きずりの男と一夜を共にした後、言葉にはし難い不安と絶望感に苛まれ、自殺を図ることになる。そしてその男が再び夜の街へと繰り出す時、その横には彼女の哀れな死骸が転がっている。だが緑に包まれたそれに気づかないまま、彼は行ってしまう……

今作の胸を締めつけられるような重苦しさは当時のイスラエル社会の反映なのかもしれない。事実、今作製作の3年後である1995年にはイツハク・ラビン首相が暗殺され、国は右傾化の道を歩むことになる。今作のラストは正にその黙示録を体現したものだ。それは余りに強烈で、私も思わず唖然としてしまった。だが当時のイスラエルにおいて、ここに現れる大いなる力は現実味を以て受け入れられたのだろう。

Assi Dayanは1945年生まれ、主に俳優として活躍しながら監督としても活躍する。1975年にはイスラエルの予備兵を主人公としたコメディ"Giv'at halfon eina ona"を手掛け、1994年には今回紹介した作品の続編"Smicha Hashmalit Ushma Moshe"を監督した。遺作は2011年の"Dr. Pomerantz"、困窮に陥った無職の心理学者を描いた作品である。2014年に惜しまれつつこの世を去った。

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