Manuel Antin&"Intimidad de los parques"/アルゼンチン、錯綜する三角形の愛
"Intimidad de los parques" / "公園の公共性" (監督:Manuel Antin, アルゼンチン, 1965)
今作の主人公はテレサという若い女性である。彼女は夫であるエクトルと幸せに暮らしていた。ある時彼女たちはマリオという男性とペルーのマチュピチュへ旅するのだが、実はマリオはテレサの昔の恋人だった。彼らはマチュピチュを彷徨ううち奇妙な世界へと引きずりこまれていく。
表面上、今作はメロドラマ的な三角関係もののように思われる。1965年制作なので、フランスで制作された三角関係物であるフランソワ・トリュフォー監督作「突然炎のごとく」のシリアス版という印象を抱く人も少なくないだろう。
しかし今作の原作はフリオ・コルタサルという人物である。彼を知らない人のために説明すると、コルタサルはラテンアメリカ文学が世界で大ヒットする機会を作った立役者であり、魔術的リアリスムと呼ばれる奇妙な設定の短編を多数執筆して名声を獲得した人物だ。そんな人物の作品が原作なのだから、そう一筋縄でいく訳もない。
今作では過去と現実の時間軸が複雑に入り組むこととなる。3人の仲が良かった過去、3人が心の障壁で分かたれることになった現在、その光景が驚くほどの脈絡なさで交わりあうことでこの愛の風景はどんどん錯綜していく。この錯綜具合が今作の鍵であり、凄まじく印象的だ。
それでも今作の中心にあるのはマチュピチュを旅した過去の風景だ。謎めいた石垣が積み渡った遺跡、その中を三者三様の道行きで以て彷徨っていく。その中で愛が奇妙な混濁を見せていくのである。彷徨いは孤独になり、孤独は叫びになる。そして彼らは愛の迷宮へと彷徨いこんでいくのだ。
今作の監督Manuel Antinはフリオ・コルタサルと長きに渡ってタッグを組みながら、映画を製作したアルゼンチンの巨匠である。私は彼の作品をJuan Mónaco Cagniという青年に観たほうがいいと薦められた。彼は弱冠21歳でロッテルダム映画祭にデビュー長編"Ofrenda"が選出された人物である。アルゼンチンでは21歳がAntinの作品を観て自身の作品の糧にしているのだ。アルゼンチンには勝てねえ……と思った次第。