鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Ali Özgentürk&"At"/イスタンブールの路上に斃れて

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"At" / "馬" (監督:Ali Özgentürk, トルコ, 1982)

フェルハットと彼の父は生まれ育った故郷の村から都市部へと引っ越すことになる。ここで金を稼いでフェルハットを学校に行かせて教育を受けさせるためだ。しかし路上での野菜売りは重労働であり、違法のため警察にも弾圧されてしまう。夢見る明るい未来はどこにも見えず、辛い日々が続く。

トルコ人のシネフィルが“この作品はトルコ版の「自転車泥棒」だ。いや、それ以上の作品!”と表現していたが、そうしたい理由はかなり分かる。父と息子が身を寄せあって苛烈な貧困と都市の孤独を生き抜こうとする、そんな姿は「自転車泥棒」の親子に重なる。彼らの絆はとても固いものだ。しかし貧困はそれを越えるほどに、あまりにも過酷なだった。

今作の演出もやはりネオレアリズモ寄りであり、都市部の猥雑な状況がかなり生々しく捉えられている。80年代の作品でカラーなので、目に染みる感じは更に濃厚だ。色とりどりの車が所狭しと走る道路の粗雑な雰囲気、人々が寄り集まって声を上げる市場の活気、海に面したカフェの湛える洒脱さ、ホームレスたちの棲みかである劣悪な空き地の侘しさ。トルコの一都市(たぶんイスタンブール)に当時広がっていた現実の諸相を鮮烈に捉えている感じはある。

父親はどうしてもフェルハットを学校に行かせたいのだが、いっこうに金は貯まらない。無料で行けるという寄宿学校に応募しながらも、フェルハットは受験に落ちてしまう。その間も父親は野菜売りとして道路を歩き回る日々を送る。こうしてよりよい未来を求めたはずが、むしろもっと劣悪な環境で生きざるを得なくなる現実が広がる。描写描写から経済が活況であるような感じが浮かぶ(例えば野菜売ってたら、お前邪魔なんだよ!と難癖つけてくる、良い感じの車に乗ったブルジョアが出てくる)も、そこにおいて置いていかれる者たちの悲哀が緻密に描かれている。

ラストは全てに絶望した父親が街を彷徨う姿が映し出される。打ち捨てられた荒野のような空っぽの都市の状況は、その当時生きていた人々の精神の荒廃を反映したものかもしれない。それらの亡霊のような佇まいは頭に焼きついて離れないような不気味さを持っている。そしてその中で父親は暴漢に刺されて、命を落としてしまう。フェルハットは完全な失意の中で、故郷へと帰る……劇中、親子は道路の真ん中に横たわる羊の死体を目撃する。彼らはそんな風に世界から見離されてしまうのだ。