鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Neer Shah&“Basudev”/カトマンズ、手とそして魂を汚し

“बासुदेव Basudev / バスデヴ” (Neer Shah, 1984, ネパール) 

今作の主人公はバスデヴという中年男性だ。彼は教師として働いているのだが、その給料はあまり芳しくなく、家族を養っていくこともままならない状況だ。そんなある日バスダヴは友人であるクマールから一緒に仕事をしないかと誘われる。その仕事は犯罪に関わるものでありながら、家族のために彼は裏社会へと足を踏み入れることとなる。

1人の教師が貧困から犯罪街道をひた走ることとなる……そんな物語である“Basudev”はネパール版「ブレイキング・バッド」というべき代物となっている。そして本家ドラマに負けないくらい、脚本もなかなかにてんこ盛りである。バスデヴは金に味を占め犯罪を重ねていくのだが、金と良心の呵責に板挟みになっていき苦悩することになる。これもあって徐々にクマールと対立していく一方、彼の長男とクマールの娘が恋仲となっていき事態は拗れていく。またさらにはバスデヴの末の息子が難病と診断され、もはや彼は後戻りできなくなってしまう。

それでいて今作が製作されたのは1980年代の南アジアというわけで、インド映画の影響下にあるだろう今作には露骨な暴力や性描写はほとんどない。一応バスデヴの長男ら若者たちの恋愛模様も映しだされはするが、それもやはりと言っては難だが歌と踊りによって処理される。これがこの時代のネパール映画ひいては南アジア映画の限界といった風だ。

とはいえ監督の演出は、これがデビュー作とは思えないほどしっかりしている。最初は歌って踊る類いのインド映画にありがちな浮わついたコメディ的雰囲気で進むのであるが、事態が拗れていくにつれドン詰まりの雰囲気が加速度的に濃厚になっていく。後半はあのおちゃらけがもはや懐かしく思い出されるほど陰惨だ。いや本当、物語構成や編集のリズム、そして何よりこれらを統制する演出力が盤石で素晴らしいのだ。

特に印象に残るのは冒頭と終盤の連関である。まず冒頭、バスデヴはクマールら友人とお気に入りのベンチで真夜中に会話を繰り広げる。そこには親密な空気が漂い、観客である私たちも何か朗らかな気分にさせられる。そして翌朝バスデヴは勤務先の学校へ向かうわけだが、自宅から学校まで彼が歩く姿がほとんど映画のオープニング然とした形式で長く描かれる。そこでは彼の姿はもちろん、ネパールの首都カトマンズに広がる活気が濃厚に映しだされている。私も観ながらちょっとした高揚感を抱いた。

だが終盤、ある事件をきっかけとして完全に袂を分かってしまったクマールを、バスデヴはその手で殺害することとなる。かつての親友を殺した彼は呆然自失のままに夜のカトマンズを彷徨するが、そこに先に見出だした高揚感は微塵も存在しない。一人として通行人もいない闇の路地は、ただただ虚ろだ。その彷徨の末にバスデヴが辿りつく場所こそ、あの時クマールたちと人生について語ったベンチなのだ。そしてそのベンチで、バスデヴは心臓発作を起こし息絶えるのである。何て残酷で、だからこそ美しい円環だろうか。

“Basudev”は商業的にこそ成功しなかったが、今では1980年代当時のネパールを痛烈に批判する先鋭な社会派クライムスリラーとして高く評価されているそうだ。私は今作を「ブレイキング・バッド」に準えたが、ネパールの若い映画ファンには今作を「ジョーカー」に準える人もいた。少なくとも社会に抑圧されその底辺に生き、いつかその鬱屈を爆発させるアンチヒーローの姿がこの作品には浮かびあがっているのだ。