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Agim Sopi&"Njeriu prej dheu"/コソボ、受難と尊厳

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"Njeriu prej dheu" / "土より生まれし男" (監督:Agim Sopi, コソボ, 1984)

今作の主人公はソコルという老人だ。彼はコソボの田舎町で農民として暮らしていたが、貧困は深まるばかりだ。それ故に息子の家族とともに、トルコへと出稼ぎに赴くのだが、その生活すら安定したものではなく、ソコルは追い詰められていく。

そんな中で最愛の妻が亡くなってしまい、彼女を埋葬しようとするのだが、貧困の生でそれすらままならない。この事実とともに自身の死期を悟ったソコルは、せめて自分の骨を故郷の大地に埋めることを願い、家族を置いてコソボへと帰還することになる。

今作において監督は格調高い映像で以て1人の老人の苦悩を描き出していく。孫はソコルにこう尋ねる。"私たちはどこから来たの? 私たちの故郷はどこ?" ソコルは言葉を濁しながら、遠い目をすることしかできない。娘はトルコ人と行きずりの関係を持つのを続け、家庭は荒れ果てる。その光景を監督は静かに見据えるのだ。そこからは苦しみと怒りが滲み渡る。

そしてソコルは故郷へと戻るのだが、そこすらも荒涼たる有様を呈していた。石造りの家の群れは朽ち、打ち捨てられている。妹と再会を果たしながらも、彼女は幼い息子を失ったのをきっかけに発狂、赤子の泣声の幻聴に惑わされるようになっていた。ソコルが持っていた土地も複雑な権利問題によって、持ち主が判別できなくっている。そしてソコルの苦悩は更に深まっていく。

後半になるにつれ、映画の視点はソコルから様々な人々に移り変わることによって、今作は個人の映画からコソボ人それ自体についての映画へ変わっていく。コソボの歴史は複雑だ。ユーゴ時代、コソボアルバニア人はチトー政権に弾圧を受けながら細々と暮らしていた。その抑圧と貧困に耐え兼ねた人々は他国へ移住を果たしながら、その生活も平和なものではない。コソボに生まれることそれ自体が受難のようなものだ。しかし監督はソコルたちの姿を通じて、コソボ人の尊厳をも描き出している。彼らの大地に根づく強さを確かに描いているのだ。

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