鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Arvo Kruusement&"Kevade"/エストニア、ぼくらの青春

"Kevade" / "春" (監督:Arvo Kruusement, エストニア, 1969)

18世紀も終りに差しかかる頃、エストニアの田舎町に位置する寄宿学校で少年アルノは青春を謳歌していた。友人のヨーゼップやトニソンと日々はしゃぎ回ると共に、テーレという少女とは相思相愛の仲にあった。そして彼はこの寄宿学校で友情や愛について深く学んでいくことになる。

今作の原作はエストニア文学の立役者であるOskar Lutz(オスカル・ルッツ)の半自伝的小説だ。ここには当時の状況が活き活きと記されているそうだが、今作においても過去のエストニアに広がっていた青春が鮮やかに描かれている。授業中にはお喋りを交わし、川から流れてきたクソガキ集団と喧嘩をやらかしたり(このとき薪持ってきてブン殴りまくるのがエストニア的)子犬を拾ってきて一悶着起こしたり、彩り豊かな日常がここにはある。

エストニアの美しくも凍えそうな風景も一見に値する。雪が全てを包みこむような純白の世界、枯れ枝に雪が吸いついてできる世にも洵美なるオブジェの数々、少年少女たちが氷の上を滑るうちに吐きだす濁った息の揺らめき。北の果てに位置するエストニアならではの景色がここには広がっているのだ。

監督であるArvo Kruusement(アルヴォ・クルーセメント)の演出は清々しい空気に満ち溢れたものだ。軽すぎではなく深刻にもならず、軽妙な旋律で以て青春の輝きを描き出している。若さゆえの騒動あり、愛の三角関係あり、観ていると心が高揚してくること請け合いである。

KruusementはKaljo Kiisk(カリョ・キースク)と並ぶエストニア映画界の重鎮である。キャリア20年のうち長編はたった7本と寡作だが、今作がエストニア映画界における最も偉大な傑作と評価されるなど、その功績は多大なものだ。1972年にはタリンにやってきたドン・ファンの姿をミュージカル調に描いた"Don Juan Tallinnas"を、1982年にはバルト海沿岸に位置する港町の光景を描いた"Karge meri"を監督している。

さてこの"Kevade"であるが、実は今作には続編が存在している。1976年製作の"Suvi"と1990年製作の"Sügis"である。ここにはアルノやテーレたちが再登場、それぞれの未来を歩む姿が描かれる。しかし主人公はそれぞれ異なり"Suvi"はロシアで農業を学んだ20代のヨーゼップが父の農場を立て直す姿が描かれ、"Sügis"は"Kevade"では臆病者の友人として出てくるキールが中年となり、仕立て屋から農夫に転身しようと苦闘する姿を描き出す。特筆すべきなのは、何と彼らを演じる俳優が三部作通じて同じことである。20年スパンで同じキャラを同じ俳優が演じるというのは珍しいことだろうし、"ビフォア三部作"のようなことを過去のエストニア映画界がやっていたことは驚きである。ちなみに"Kevade" "Suvi" "Sügis"はそれぞれ"春" "夏" "秋"を意味しており、全て原作はOskar Lutzのものである。

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