鉄腸野郎と昔の未公開映画を観てみよう!

鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Svetlana Proskurina&"Detskaya ploschadka"/荒廃の中の、黄昏色の青春

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"Детская площадка" / "子供の遊び場" (監督:Svetlana Proskurina, ソビエト連邦, 1987)

ジャンナは孤児院を出て工場で働く少女だ。ある日彼女はロマンという少年と出会う。彼は救急車の運転手をする、やはり孤独な青年だったが、2人は一目会った時から惹かれあい、そして孤独の傷を舐めあうように2人で暮らし始める。

今作はまず2人の交流を淡々と描き出していく。公園で出会った時に言葉を交わしてすぐ、若さゆえの性急さからか、部屋へと赴き互いについて打ち明けあう。そして彼女たちはすぐさま恋人同士になり、生活を共にする。だが2人の幸せに影が振りかかろうとしている。

ロマンはよりよい未来のために、運転手の他に組織犯罪に加担し始める。そうしてイヤリングを買ってあげたりと、彼の羽振りは少しずつ良くなっていくのだが、犯罪の世界に身を深く埋めるにつれて、段々と後戻りできなくなっていく。

ここには80年代後半、共産主義末期にあるソビエト連邦の荒廃が描かれている。表向きはモダンな都市生活が演出されていながらも、その裏には見るも無残な瓦礫の山や工場の黙示録的な風景が広がっている。そんな荒廃が臨界点に達する直前がここに映し出される時代なのである。

それに呼応するように主人公たちの青春も荒廃している。社会の隅に蹲って、小さな小さな幸福を何とか分け合う光景は悲愴な物がある。そういった風景はリトアニア映画作家シャルナス・バルタスの初期作品、例えば"Trys dienos"などを想起させられる。共産主義末期と崩壊後という違いはあるが、それでも東側に広がっていた荒廃を両者は体現しているのである。

しかしここには真逆の感触も残っている。画面には常に夕陽のような橙の薄いベールがかかっているのだが、そこからはどこか暖かなる安らぎと静かな郷愁を感じさせる。例え生活は悲惨なものであっても、ここにしか存在しない何かが確かにあると主張でもするかのように。この胸を締めつけるような懐かしさは、観る者の心に滲み渡るだろう。その果てにどんな悲劇が待ち構えていようとも。

Svetlana Proskurina (キリル語表記:Светлана Проскурина / スヴェトラーナ・プロスクリナ)は1948年生まれ、1976年にレーニングラードの映画学校を卒業した後、1987年にデビュー長編"Детская площадка"("Detskaya ploschadka")を製作した。1990年に完成させた長編"Случайный вальс" ("Sluchaynyi vals")はロカルノ映画祭で金豹賞を獲得している。90年代はロシアの芸術家に関するドキュメンタリーを多く製作、2002年にはアレクサンドル・ソクーロフの「エルミタージュ幻想」の脚本も手掛けた。近年も精力的に映画を製作しており、最新作は2019年の"Воскресенье"("Voskresenae")、死の宣告を受けた公務員がめぐる最後の日曜日を描いた作品だそうだ。

Zbyněk Brynych&Transport z ráje/楽園から遠く離れて

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"Transport z ráje" / "楽園からの輸送" (監督: Zbyněk Brynych, チェコ, 1962)

舞台は第2次世界大戦最中のプラハ、ここにゲットーであるテレシンが形成され、数多くのユダヤ人が住むことを余儀なくされていた。まず今作はそんなゲットーの姿を描き出す。表面上ユダヤ人は自由を謳歌しているように思われるが、実際にはナチスによる日常的な虐待や言論規制など、そこに真の自由は存在してない。ゆえに自由を求める若者たちは地下に潜って生活をしている。

そしてナチスドイツはある計画を着々と進めていた。ここに住むユダヤ人たちを無差別に選んで、絶滅収容所であるアウシュヴィッツに輸送しようというのだ。そんな残酷な計画が進む中、地下の若者たちは過酷な状況でも青春を謳歌していた。直情的に愛に生き、そうできないものは彼らの幸運をやっかみ、それぞれが軽やかに若さを生きていく。だがそうできるのも時間の問題であった。

今作に描かれるプラハの風景(もしかしたら違うかもしれないが)は端正でとても美しいものだ。古きものの滋味深い趣がそこには宿っている。それと同時にモノクロームの色彩はこれらに鬱々たる雰囲気をも宿していく。それは人々の抑圧された心が反映されているのだろうと思わされるほど、灰色の荒涼を湛えていると言ってもいい。

そして少し興味深く思ったのは、この時代のチェコスロヴァキア映画を観るにあたって、ナチスドイツが出てくる作品はとても多いわけだが、そのドイツ軍の多くがちゃんとドイツ語を喋っているのである。同時代のアメリカ映画などでは望むべくもないが、チェコスロヴァキア映画は完璧にドイツ人俳優かドイツ語が流暢な俳優を雇っているようだ。それほど歴史問題には敏感であるということだろう。

終盤は本作でも最も印象的だ。空き地に集められたユダヤ人たちはドイツ軍兵士によって名前を呼ばれ、一ヶ所に集められていく。そして彼らは粛々と列車に乗ることになる。絶滅収容所へと向かう列車へ。この光景を何の虚飾もなく、淡々と描き出すのだから恐ろしいものだ。死への道筋はこうして静かに描かれていったのだということを改めて思い知らされる。

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František Vláčil&"Holubice"/今、ここから飛び立つ時

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"Holubice" / "鳩" (監督:František Vláčil, チェコ, 1960)

暇を持て余していた車椅子の少年は、窓の外で飛び回る鳩を見つける。彼は好奇心から銃でその鳩を打ち落としてしまう。鳩は力なく墜落していくのだが、同じアパートに住む画家の男が拾い、治療をすることとなる。彼らは知らなかったが、実はその鳩を待ち続ける少女がバルト海沿岸の小さな村にいたのだった。

まず今作は少年の心の移ろいを描き出す。彼は小学校でフェンスの真上にボールが引っかかったのを取ろうとして落ちてしまい、それから怪我とトラウマの両方のせいで歩けなくなったのだ。少年は自由を謳歌する鳩に嫉妬を抱いて打ち落としてしまったのだろう。しかし彼は画家の男から鳩を受け取り、自身の行いを反省する。そして鳩が回復するその時を願うのだ。

演出はかなり実験的である。基本は計算され尽くしているだろう美しいショットの数々で構成されながらも、時おり舞台がアパートからバルト海沿岸の村へと移行し、ジャジーな劇伴の流れる自由気ままなシークエンスが描かれることになる。かと思えば画家が絵画を描く場面をそのまま描き出したり、表現主義的な黒と白の不穏な交錯が現れたりと、その演出にはかなり幅がある。

その自由さは正に、自由とは何かという主題に密接に関わっている。歩けないのは怪我のせいというよりトラウマのせいであると分かってくる少年の心の震えは、そのまま鳩に託されていく。怪我が治っても飛んでいかない鳩の姿は、少年が元のようの立って堂々と歩き続けることを恐れているからなのだ。しかしそんな鳩を手放してこそ、少年は、私たちは進んでいけるのだ。

今作“Holubice”(特集上映された時の邦題は「鳩」)はとても小さな宝石のような映画だが、興味深いのは今作が後のチェコを代表する名匠František Vláčil(フランチシェク・ヴラーチル)によるデビュー長編ということだ。彼は数年後、チェコ映画界で最も偉大と言われる作品“Marketa Lazarová”(「マルケータ・ラザロヴァー」)を完成させ、名実ともに巨匠の称号を獲得する。この2つを比べれば明らかだが、全く驚きの飛躍であるというべきだ。

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Evald Schorm&"Každý den odvahu"/社会主義の荒波の中で

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"Každý den odvahu" / "毎日を生きる勇気" (監督:Evald Schorm, チェコ, 1964)

第2次世界大戦後のチェコスロヴァキアソ連によって社会主義が輸入された時代が本作の舞台だ。ヤレクという青年は工場で作業員として働いていたが、共産主義に対して深いシンパシーを抱いていた。それゆえに周りの友人からも疎まれながら、彼は我が道を進み続け、着々と出世を果たしていくのだったが……

今作の製作年数は1964年ということで、モロにヌーヴェルヴァーグに影響を受けた自由さが感じられる。つまり典型的なチェコスロヴァキアニューウェーブに属する作品な訳で、監督のEvald Schlom(エヴァルド・シュロム)もこの潮流の代表的人物と言われる(が、日本における情報は少ない)工場の様子や空き地で繰り広げられる愛の戯れ、そういったものが一種の軽やかさで以て描かれる様はとても興味深いものだ。観客も時代の空気を感じることができるだろう。

東欧映画に顕著なのは、精神がどん詰まりを迎えたような鬱屈と生命力の狂騒ぶりが拮抗している部分だ。今作でも出世を果たしながらも何かを確実に失っていくヤレクの心の風景と平行して、日本では考えられない異常なハイテンションで繰り広げられるパーティーシーンなど生命力が汪溢する場面が交互に繰り広げられる。この鮮烈な対比が、今作や他のチェコスロヴァキア映画に東欧映画を特別なものとする由縁なのかもしれない。

その中でも特徴的なのは若さの失われてゆく様への郷愁だ。ドキュメンタリー調で若者たちの文化が描かれる中(この辺りはニューウェーブの代表的作家ミロシュ・フォルマンの“Konkurs”を思い出させる)ヤレクの恋人であるヴェラはある時こんなことを言う、私は年なんか取らないって言って!と。しかし時は誰にも等しく降りかかる。ソ連ではスターリン批判が起こり、今までの体制が欺瞞であったことが明らかになる。そして順風満帆だったヤレクの人生は完全にひっくり返り、窮地に至る。誰もまた人生の流転からは逃れられないのだ。

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Dimitar Petrov&"S detza na more"/港町に響く子供たちの声

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"С деца на море" / "岸辺で子供たちと一緒に" (監督:Dimitar Petrov, ブルガリア, 1972)

今作はピプシという少年を主人公とした2本の短編で構成されている。舞台は黒海沿岸の風光明媚な港町、そんな観光街でピプシは子供時代を過ごしていた。まず彼が飛びこむ冒険は不思議なイルカの冒険だ。ある日彼は若い漁師から不思議な力を持ったイルカについての噂話を聞く。ピプシは仲間たちと共に、そのイルカを探しに行くのだったが……

さらにある日、ピプシはマンチョという中年男性と出会う。彼は同僚である女性とこの町へ出張へやってきたのだが、実は彼女に好意を持っていたのだ。マンチョは同僚に近づくのだが、カメラを持ったピプシが周りをうろついて遊びに巻き込んでくるので、思うように事が運ばず……

東欧映画のそれほど多くない映画製作数の中で、子供映画の占める割合はかなり大きいように思われる。共産主義国家においても子供は世界の未来であり、彼らのための映画が必要とされていたからだろう。今までアルバニアルーマニアなどの子供映画を見てきたが、ブルガリアの作品群も独自性があり、なかなか面白い。

ということで本作である。まず印象的なのはブルガリアの港町の美しさである。観光客ひしめく海の風景が心洗われるほど素晴らしいのはもちろん、風情のある古びた家並み、長きに渡る歴史を感じさせる建造物の数々、そしてそこに生きる人々の何気ない営み。当時のブルガリアの息遣いがここには宿っているのだ。

そして子供たちの弾ける明るさや好奇心はどこの国でも変わらない。皆で集まってブルガリアの街を駆けまわり、馬鹿やりまくって時々友達を泣かせたり、大人をこれでもかと困らせたり、子供たちの魅力爆発である。太陽の光が満ち渡る世界を自由に跳ね回る彼らの姿は、それを見ているだけで心が躍るだろう。

しかしやはり生きる上で、ただ一辺倒に明るいだけではいられない。そこには寂しさや哀しさも存在する。1話の最後では、不思議なイルカを見つけられなかったピプシ御一行は、更に噂を教えてくれた若い漁師がカッコいい男というよりただの軽薄な女好きということを知り、大いなる幻滅を味わう。そうやって大人の汚さを知って、子供というものは成長していくのだろう。

Dimitar Petrov (Димитър Петров /ディミタル・ペトロフ)は1924年生まれ、50年代から様々な映画を製作していたが、その中でも得意としていたのが子供映画だった。例えば1963年製作の"Капитанът / The Captain"はサマーキャンプで船を作ろうとする少年少女が巻き起こす騒動を描いた作品、1971年製作の"Таралежите се раждат без бодли / Hedgehogs are Born without Spines"は3篇の短編を通じて子供たちの日常を描き出すオムニバス作品だった。10数本の映画を製作した後、2018年に92歳でその生涯を閉じることになった。

だが今作にはもう1組、重要人物が存在する。それがMormarevi兄弟(Братя Мормареви / モルマレヴィ兄弟)だ。Moritz Yomtov (Мориц Йомтов /モーリッツ・ヨムトフ)とMarko Stoychev (Марко Стойчев /マルコ・ストイチェフ)の2人で結成されたこのコンビ(実際の兄弟ではない。叶姉妹のようなものだ)は、60年代から80年代にかけて数々の脚本を執筆していた。彼らの得意としたのがコメディ映画と子供映画であり、後者は様々な監督によって映画化され、その1本がこの"С деца на море"だった訳である。ちなみに前者の代表作としてはブルガリア1のコメディ俳優Georgi Partsalev(Георги Парцалев /ゲオルギ・パルツァレフ)を主演に据えた世代間ギャップコメディ"Два Диоптъра Далекогледство / Farsighted for Two Diopters"が挙げられる。

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Milutin Kosovac&"Devetnaest djevojaka i jedan mornar"/セルジュ・ゲンズブール in ボスニア

"Devetnaest djevojaka i jedan mornar" / "19人の少女たちと1人の海兵" (監督:Milutin Kosovac, ボスニア, 1971)

ナチによる侵攻が激化していたボスニアのある地域、劣勢に追い込まれたパルチザン部隊だったが、傷ついた彼らを救うため旅を続けるのが海兵隊の男率いる19人の女性部隊だった。彼女たちは負傷した兵士たちを各地で救出しながら、ナチが跋扈する山の中を旅する。

ユーゴ映画を探索していた最中に見つけたのが、この驚愕のボスニア映画。何が驚きって主演が何とフランスの大スターであるセルジュ・ゲンズブールジェーン・バーキンなのである。時期は1971年なので「ガラスの墓標」直後に出演したらしい。いつの間にユーゴに出稼ぎに行ったのかという感じだ。

物語の主軸は女性部隊の旅路である。険しい山道を進んだり、ドイツ兵どもをブチ殺したりブチ殺されたり、傷ついた兵士たちを癒したり、そういった風景が断片的に描かれる。正直言うと、その淡々たる構成はかなり味気なく、キャストの無駄な豪華ぶりに反して内容はそれほど面白くない。

それより変なところを書くべきだろう。まずド直球におかしくて失笑なのが、ボスニア兵もドイツ兵もみな全員フランス語で喋るのである。実際の歴史にお前らそんな関わってねーだろという。「イングロリアス・バスターズ」以後に観ると滑稽以外の何物でもない。ゲンズブールたちありきで作られたのが丸分かりの趣向である。

そして当のゲンズブールたちはというとである。バーキンは山道を登ったり、川を渡ったり、機関銃を構えて敵をブチ殺したり、無駄に全裸になって湖で泳いだり体張ってるが、ゲンズブールは当の旅の場面はほぼ出てこず、野原とかで休憩する時だけひょっこり現れ、リーダー面をする。お前、隊のリーダーじゃねえのかよ?そして出てきたかと思うと、バーキンとイチャコラして公私混同をかますバーキンが戦闘中ライフルで敵兵をブチ殺した後「これが武勲のメダルさ」と、ゲンズブールが路傍に咲いていた一輪の花を渡す場面は失笑通り越して、もはや微笑ましい。完全にゲンズブールバーキンカップルの接待映画である。

とはいえ良い所もある。おそらく当時のユーゴ映画としては金がかかってるのではないだろうか。冒頭から爆破に銃撃にとなかなか迫力がある。全体的に銃撃戦にはかなり力が入っている。そしてボスニアの寒々しく広大な大地を背景に、多くの軍勢が迫ってくる場面のショットなども美しい。が、まあ今作は相当の物好きか筋金入りのゲンズブールマニアorユーゴ映画マニアにしか薦めない。上映時間は72分と短いので暇潰しにはありかもしれない。

監督のMilutin Kosovac(ミルティン・コソヴァク)に関してはあまり情報がない。ゲンズブールと画外を作るわりには無名でかつ寡作だ。1964年製作の"Dobra kob"は、ユーゴへ狩りにやってきた男が猟場の番人が悪名高いナチだったのではないか?と疑心を深めるサスペンスで、1966年製作の"Sunce tudeg neba"はドイツへ出稼ぎに向かうユーゴ人労働者たちの姿を描いた作品、1985年製作の"Ada"は1人の女性が息子のよりよい未来のため仕事を探す姿を描いた作品だそう。生涯ボスニアで映画を作り続けたようだ。

フランス版ポスター。ゲンズブールの顔が濃厚。

Miomir Stamenković&"Si të vdiset"/東欧、パルチザン映画の系譜

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"Si të vdiset" / "どう死すべきか?" (監督:Miomir Stamenković, コソボ, 1972)

舞台は第2次世界大戦時のコソボ、この地は枢軸国であるイタリアの占領されて暗黒の時代を迎えていた。それでもパルチザンたちはイタリア兵たちに対して反抗を続け、戦いに身を委ねていた。その中に親友であり戦友である2人の青年がいたのだが、彼らを待つ運命は残酷な物だった。

戦後の東欧映画には、エロや暴力を主題にしたエクスプロイテーション映画、ならぬパルチザンの勇ましい戦いや悲劇を描き出した"Partisaploitation"映画みたいなジャンルが存在すると思っている。ブルガリアからユーゴスラビアルーマニアまで幅広くパルチザン映画は存在し、アルバニアでは1980年代まで長く長く作られるほどである(以前紹介したXhanfise Keko監督の"Partizani i vogël Velo"はその代表例)

さて"Si të vdiset"はその意味で正に典型的な"Partisaploitation"映画である。青年たちは勇ましくイタリア軍と戦い、雄々しく反抗を続けながらも、抵抗空しく捕えられ、最後には処刑されてしまう。しかしそれでも誇りは失わないままに生を全うする訳である。当時のファシズム死すべし&共産主義ズブズブな観客にとってはパルチザン泣き必至である。

ではそんなパルチザン的、というかまあプロパガンダ的な要素を越えて、今作は面白いかと言えば微妙である。こう、ビジュアル的に飛躍するものがないのだ。コソボの広大な大地に頼りきりで視覚的快楽が足りない。かといって"Partisaploitation"映画史に残る傑作であるラリーサ・シェピチコの「処刑の丘」くらい人間の顔が力強く描かれている訳でもない。今作は相当の東欧映画好き及びコソボ映画好きにしかオススメしない。傑作になるポテンシャルはあったと思うのだが。

本作の監督Miomir Miki Stamenković(ミオミル"ミキ"スタメンコヴィッチ)はセルビア人監督で、ユーゴスラビアの各地で映画を製作していた。1971年の"Klopka za generala"はボスニア映画で、1972年製作の今作はコソボ映画、1976年製作の"Devojacki most"はセルビア映画といった風である。2010年まで長編から短編、劇映画からドキュメンタリー、映画から演劇まで幅広く作品を製作した後、2011年に亡くなった。享年83歳だった。

ポスターは題名が違うが、クロアチア語表記で意味は同じ。