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鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Zvonimir Berković&"Rondo"/クロアチア、愛はチェスのごとく

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"Rondo" / "輪舞曲" (監督:Zvonimir Berković, クロアチア, 1966)

ムラデンは裁判官として勤務する、自由気ままな独身男性だ。彼にはフェジャという親友がいるのだが、ある時から日曜日の午後4時に彼の部屋へと赴き、チェスをやり始めることになる。フェジャにはネダという妻がいるのだが、2人との会話を楽しみながら、毎週チェスは繰り返される。

何故、数多の映画作家はチェスという遊戯に惹かれるのだろうか。まるで光輝く星雲のように無限大な可能性に惹かれるのか、戦略の中に宿る崇高な美しさに惹かれるのだろうか。その答えは未だ曖昧模糊であるが、今作の監督Zvonimir Berkovićもまたチェスに魅入られた1人である。2人の男が瀟洒な会話を楽しみながら、チェスに明け暮れる。本作の大部分がそれで構成されているのだから。

しかしだんだんとそこに別の要素が入り込んでくる。毎週チェスのためにフェジャの部屋へ赴きネダと会ううち、ムラデンは彼女に恋をしてしまうのだ。親友の妻であることは承知しながら、会話を交わし、彼女の心に触れる度、彼は否応なくネダに心を奪われる。そしてある時衝動的に唇を奪ってしまった後から、チェスという遊戯はその意味を少しずつ変えていく。

今作はチェスを通じた三角関係の愛の鍔迫り合いというべきだろう。チェスが無邪気な戯れになることがあれば、熾烈な闘争となることもある。しかし監督の謎めいたモダニスト的な演出も相まって、今作は様々な表情を見せる。1人の男の心理をめぐるスリラー作品、どこか現実とはずれた不条理劇、この不定形な自由さを本作の質を高めている。

そしてこの作品の核にあるのは反復だ。題名にもある“Rondo”は正に旋律の繰り返しによって成り立つ音楽であるが、ネダはある時こんな発言をする。“ロンドは反復の音楽だけれど、聞くものを退屈させることはない”それは反復の中の微妙な差異が、万華鏡的な美しさを放つからだ。今作も表面上はチェスを繰り返す男たちの姿を描いただけのものだが、そこには一瞬として同じではない豊かな感情が現れる。そうした感情の反復の中で、愛は思わぬ展開を見せるのだ。

今作の監督Berković は元々脚本家出身のクロアチア人で、その時の代表作は1956年製作の“H-8...”、ザグレブからベオグラードへ通行するバスの乗客たちの心理模様をめぐる1作である。そして彼は映画監督として1966年にこの作品を完成させた訳だが、今でもクロアチアではこの国で最も偉大な映画の1本という称賛を受けるほどに評価される作品となっている。ちなみに"H-8..."もクロアチア映画界の最も偉大な作品の1本と言われており、つまりはBerkovicはクロアチア映画界の超重要人物な訳である。

今作の後には入院中に同室の患者を見舞う女性に恋をしてしまう男を描いた"Ljubavna pisma s predumišljajem"(1985)やクロアチアの有名な作曲家であるDora Pejačević(ドーラ・ペヤチェヴィチ)を描いた伝記映画"Kontesa Dora"(1993)を監督するが、ここで映画製作を止めてしまう。とはいえ活動は旺盛で、今後は映画・演劇・音楽の分野で批評家として活躍すると共に、ザグレブ演劇芸術アカデミーで教鞭を取り製作会社Jardan Filmを経営するなどしていた。

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