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鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!の別館。ここでは普通の映画史からは遠く隔たった、オルタナティブな"私"の映画史を綴ることを目的としています。主に旧作を紹介。

Jānis Streičs&"Tikšanās uz Piena Ceļa"/天の川でまた会いましょう

Karš un sieviete Jāņa Streiča filmās - Kino Raksti

"Tikšanās uz Piena Ceļa" / "天の川での出会い" (Jānis Streičs, ラトビア, 1986)

第2次世界大戦真っただ中、アストラは戦線に送られた夫を待ちわびながら、自身も兵士としてナチスに抵抗を続けていた。ある時彼女は任務を受け、自身も最前線へと向かうことになる。夫と再会したいという願いを胸に、アストラは弾幕と爆撃に覆われた戦地を行く。

このラトビア映画は戦争映画とロードムービー両方の要素を兼ね備えたハイブリッドだ。戦火のあわいを潜り抜けながら、アストラは様々な人々と出会う。旅を手助けする気のいい青年兵士、志を以て必死に戦いを続ける女性兵士、身を寄せ合いながら暮らす小さな子供たち。彼らとの出会いと別れを通じ、戦争の残酷さを味わいながら、アストラは夫を探し求める。

まず際立つのは戦争が人間存在にもたらす不条理なまでの死だ。ある時、アストラと気軽に会話していた兵士が次の瞬間に地雷で爆死する。ある時、アストラが滞在していた基地をドイツ兵が奇襲し凄惨な虐殺が繰り広げられる。こうした死の風景がほとんど何の脈絡もなく、突如としてアストラや観客に牙を剥く。これが戦争だ、これが死だと血塗られた真実を叩きつけるように。

だが同時に描かれるのは深い優しさの風景だ。作中にはアストラ含め様々な境遇の女性兵士たちが現れるが、彼女たちは互いをケアしながら、この極限状態を生き抜かんとする。そしてアストラたちが孤児の一団と出会い絆を紡いでいく様には、暖かな慈愛が宿る。こうして描かれる人が人を想う優しさが1つの希望として、戦争が齎す不条理な死と常に拮抗し続ける。

この2つの要素が美しい衝突を遂げるキャンバスを用意するのが、Valdis Eglītis ヴァルディス・エグリーティスによる撮影だ。全編が砂煙に満ちた荒廃の戦場を舞台としているが、彼はその中に息を呑むような詩情を見出す。時にそれはゾッとするほど美しく、時にそれは胸を打つほどに悍ましい。だがいつであっても胸を掻き毟るような生の切実さがそこには宿っている。

Valdis Eglītisはラトビアにおいてドキュメンタリー作家として著名な人物だが、数本ほど他の監督の作品で撮影監督も務めていた。斯く言う私は、この前にAivars Freimanisが1990年に制作した3時間もの大作"Dzīvīte"を観て本当に大感動(これについてもレビュー記事を書きたいが、途方もない傑作で一体いつ書けるか分からない)した後、際立って美しかった撮影を誰が担当したかと確認したところ、このValdis Eglītisに辿り着いた訳だった。

そして脚本を担当したIngrīda Sokolova イングリーダ・ソコロヴァはラトビアでは小説家として著名な人物であり、調べた限り脚本を執筆した作品はこれ含め2作しかない。今作の脚本は自身の経験を基に執筆した作品というが、アストラが愛を懸けて生存闘争を繰り広げる様には、Sokolovaの第2次世界大戦という1つの血腥い時代への生々しい思いと苦痛が刻まれている。

題名である"Tikšanās uz Piena Ceļa"はラトビア語で"天の川での出会い"を意味しており、これはアストラと彼女の夫の約束に由来している。そんな宇宙的イメージを題名とともに体現するのが、ラトビアで最も著名な音楽家の1人であるMārtiņš Brauns マールティンス・ブラウンスの手掛ける劇伴だ。戦争映画には少々場違いに思えるほど電子音を多用したその響きは、頭上に浮かぶ星々の煌めきを彷彿とさせるもので、同時にもう戻らない在りし日への郷愁すらも滲むのだ。

だが何よりも今作の格となるアストラを演じる
主演俳優Ināra Slucka イナーラ・スルツカだろう。舞台・映画俳優として今でも第1線で活躍する人物だが、そんな彼女にとって初の主演映画だったのが今作である。健気に、だがしなやかな意志とともに彼女は戦地を行く。どんな不条理な死に見舞われ、涙を流そうとも前に進むことは止めない。そんな強靭さをSluckaは鬼気迫る形で体現しているのだ。そして最後、アストラは最愛の夫の死とも直面することになる。だがそれでも、それでも生きていかなくてはならない。生きることへのこの悲壮なまでの決意が"Tikšanās uz Piena Ceļa"を全く忘れ難いものにしているのだ。

監督のJānis Streičs ヤーニス・ストレイチスはラトビア映画界で最も著名な映画作家の1人だ。1936年に生まれた彼は大学で映画製作を学んだ後、リガ映画スタジオに入社し活動を始める。1967年に"Kapteiņa Enriko pulkstenis"("エンリコ船長の時計")で長編デビューを飾り、以後2010年代に至るまで20本以上の長編を監督している。84歳で、現在も存命である。

全部は紹介しきれないので代表作を幾つか紹介しよう。ラトビア国民に最も人気のある1作は1975年制作の"Mans draugs - nenopietns cilvēks"("私たちの友人――軽薄なヤツ")だろう。ソ連占領下のラトビアに全く馴染めず、仕事を辞めてはフラフラする妥協なき理想主義者かつ怠け者の姿を描いたコメディ作品だが、この主人公像が当時のラトビア国民の共感を広く呼び、莫大な興行収入を記録したという。

Streičsのフィルモグラフィにおける傑作の1本と称される作品が1978年制作の"Teātris"だ。20世紀の英国はロンドンを舞台として繰り広げられる、舞台俳優たちの愛憎劇を描きだした本作はラトビアのオスカーとも言われるLielais Kristapsにおいて作品賞を獲得するなど大きく話題となった。

そしてもう1本の重要作品が1991年制作の"Cilvēka bērns"("人類の子")だ。同名小説を原作とした今作は1920年代のラトガレ地方を舞台に、この地で逞しく生きる少年の姿を描き出す子供映画だ。何故今作が重要かと言うと、今作はラトガレ語というラトビアで使用される方言の1つを使って作られた初めての映画なのである。ラトガレ地方が故郷である監督はこの地を描きだす作品を撮ることを悲願としていたが、今作を以てそれを達成した訳だ。監督は今作で再びLielais Kristapsの作品賞を獲得するとともに、ラトビア映画で初めてアカデミー賞外国語賞にノミネートされるという名誉も得た。Jānis Streičsという監督の重要さ、分かって頂けただろうか。彼の作品は今後とも紹介していきたいと思うのでお楽しみに。

Tikšanās uz Piena Ceļa | Il Cineocchio